岩は、動く。
学生起業家・矢内廣が初めて語る、その成功と失敗のすべて。
「不可能という名の大きな岩は、信念を持って一生懸命に押していると、一緒に押してくれる人がまず一人現れ、そのうち何人にもなり、皆んなで押してるうちに動き始め、一度ゴロンとすると、ゴロンゴロンと転がります。こうして、動かないはずの岩が何度も動いたのが、ぴあの50年でした。」(「はじめに」より)
創業50周年を機に、創業者である社長の矢内が初めてしたためた自伝。携帯電話もインターネットもSNSも何もない時代に、日本初の事業を次々に生み出した起業家、矢内廣の成功と失敗のすべて。「動かない岩」を次々と動かしたアイデアと経営哲学の原点は「遊び」だった…。
起業を志す若者、そして遊び心を忘れがちな全てのビジネスマンへの熱いメッセージ、ぜひご一読ください。
【 目次抜粋 】
・幼少時代のあだ名は「哲学者」
・起業の原点は「甘納豆紙芝居」
・情報誌「ぴあ」命名の種明かし
・浅利慶太と押した「起動スイッチ」
・ぴあが迎えた「とんでもない」相談役
・一度は「断った」株式上場
・コロナという「天災」とどう対峙したか
・「これからの50年」に向かって
ほか
【 著者について 】
1950年福島県いわき市生まれ。中央大学法学部在学中の1972年に月刊情報誌『ぴあ』を創刊。1974年ぴあ株式会社を設立し、代表取締役社長に就任。1984年には日本初のコンピュータオンラインチケットサービス「チケットぴあ」をスタート。チケットの先行予約を特典にしたクレジットカード「ぴあカード」会員制を同時スタート。2002年に東証二部、2003年には東証一部に上場(現在はプライム市場)。2018年「アプリ版ぴあ」をリリース、2020年には横浜・みなとみらいに1万人収容の「ぴあアリーナMM」をオープン。
現在はぴあグループ各社の代表のほか、(一社)PFF(ぴあフィルムフェスティバル)理事長、(一社)チームスマイル代表理事、公職として、(一社)日本雑誌協会理事、(公財)新国立劇場運営財団評議員、日本アカデミー賞協会組織委員会委員、(公財)ユニジャパン評議員等を務める。